上田秋成との出会いを契機に、日本近世小説の研究者を目指す
近衞典子先生が研究しているのは、日本近世期の小説です。中でも、悪霊やもののけが登場する短編をまとめた『雨月物語』で知られる江戸時代の小説家・上田秋成の研究に力を注いでいます。
大学に入学した当初、近衞先生は「外国の人に日本文化を教える仕事に就きたい」と考えていたそうです。その気持ちに変化をもたらしたのが秋成との出会いでした。近衞先生の恩師で、江戸時代の小説家・井原西鶴を専門に研究していた教授が、授業で何度か秋成を話題にしたのです。特に秋成とその妻のことに触れたエピソードは、強く近衞先生の胸に残りました。
「妻が亡くなった後、秋成は彼女が書いた小説を発見します。秋成はそれを清書してお寺に奉納したのですが、そもそも江戸時代といえば、多くの女性は文字を知らない時代です。しかも秋成の妻は農家の出身でした。『秋成は気難しい人間だといわれているが、実は秋成が奥さんに文字を教えたのかもしれない。時間があったら秋成を研究してみたいなあ』と言う教授の言葉に、等身大の江戸の人々の姿を知りたいと思いました」
秋成に関心を抱いた近衞先生は『雨月物語』と並ぶ秋成の代表作『春雨物語』を卒業論文で取り上げました。そこから、近衞先生は秋成作品をはじめとする日本近世小説の研究者としての道を歩み始めました。
近衞先生は、秋成が活躍した江戸期の文芸についても研究を進めました。江戸時代の特徴は文化の担い手が一般庶民にまで広がったことです。それをもたらしたのは印刷技術の発達です。本を一冊ずつ手書きで写すという作業が不要となり、大量出版の時代が誕生しました。それによって、“笑い”を真髄とする庶民文化が、興隆を迎えたのです。
「江戸時代に『源氏物語』や『古今和歌集』などといった、いわゆる古典を研究する国学が成立しました。その一方で、“古典を笑いのめそう”という流れも生まれ、数多くのパロディー作品が書かれました。秋成もその一人で、『伊勢物語』研究の傍ら、そのパロディーである『癇癖談(くせものがたり)』という作品を書いています。このように、真面目な学問と古典を踏まえて遊ぼうという世界が、混在・共存しているのが、江戸の文化なのです」
若旦那たちが熱中した俳諧に、江戸文化のリアリティーを垣間見る
小説家として知られる秋成は、同時に歌人としても有名です。しかし、秋成が残した作品は小説や和歌にとどまりません。
「多面的な貌(かたち)を有する秋成文学の全貌解明を踏まえて、江戸文化ならびに当時の庶民の生活を知ることで、近世文芸の本質に迫りたい」
その一環として現在、近衞先生は科研費を取得して、秋成の俳諧(はいかい)作品を読み解く研究に取り組んでいます。
「俳諧とは、江戸時代に栄えた日本独自の文学形式で、当初は『俳諧の連歌』とも言われました。和歌は一人で詠むものですが、連歌は一人が五七五の句を詠むと、別の一人が七七の句をつなげて詠むという具合に、何人かで詠み継いでいきます。俳諧の『諧』の字は、しゃれやユーモアを意味する『諧謔(かいぎゃく)』からきており、みやびな和歌と違い、即興性や機知、笑い、俗なるものを含んでいます。誰かが機知に富んだ句を詠むと、別の誰かが『うまいねっ』と反応する。江戸の庶民はそんな掛け合いを楽しんだのです」
俳諧は、商人たちのコミュニケーションの場でも詠まれました。秋成も俳諧に熱中した一人で、その研究の意義について、近衞先生は次のように説明します。
「秋成は、たとえば『しのぶ恋』のテーマで『おもひ草くすし(医師)は物をしらぬかな』というユーモアたっぷりの句を詠んだかと思えば、『さくらさくら散りて佳人の夢に入(い)る』というような非常に幻想的な句も詠んでいます。このように、秋成の句は幅広いのですが、その研究は少ないのが実情です。芭蕉とはまた違った趣のある秋成の俳諧を研究することで、江戸の文芸のリアリティーを多角的に探究できると考えています」
近衞先生は現在、科研費に採択された「上田秋成の俳諧研究のための資料整備と基礎的研究」というテーマで、他の研究者とともに秋成の俳諧の語釈、注解を重ねており、その研究が日本の文化の豊かさを示してくれることになるでしょう。
日本文化の継承・解読には、「くずし字」を読む技能が不可欠
一方、近衞先生は、小学生から高校生を対象とする日本近世文学会による「くずし字」を読むための出前授業に積極的に参加しています。明治以前の時代は普通の人がくずし字を読み書きしていたのですが、現在では国文学の研究者などの専門家を除くと、読める人はほとんどいません。
「くずし字が読めなくなると、明治以前の文化・文学を解読できなくなります」と、近衞先生はその状況に警鐘を鳴らします。これからの日本の文化を担うのは高校生など若い世代。近衞先生は、「国際化の時代だからこそ、自らの拠って立つ文化を知ることは大切。新しい出会いに期待しながら、好奇心と探究心を持って文学を楽しんでほしい」とエールを送ります。